【映画「溺れるナイフ」に溺れに行きました。】

実写映画化決定発表された時に知って、原作読んでみたらまんまとハマってしまい公開をとっても楽しみにしていた映画『溺れるナイフ』を観に行きました。




原作を読んだ後も、夏芽が小松菜奈ちゃん、コウが菅田将暉くんってビジュアル的に完璧ハマり役だと思ったし

コウちゃんを演じるのは難しいかもなって思ったけどわたしは菅田将暉くんの演技力に勝手に絶大なる信頼をおいていたので「菅田くんなら大丈夫だろう!!!」と自己完結し、

そしてなにより山戸監督が原作の大ファンで、是非映像化したいと監督たっての要望があっての映画化というのを聞いて「これはめちゃくちゃ良いものになるのではないだろうか…!」と公開前から期待を膨らませていました。

そんな原作ファンのわたしの感想です。
お前誰なんだよ目線とネタバレもりもりなので、まだ観てないけど観ようと思ってる方や「溺れるナイフみた!めっちゃよかった!もう最高!」みたいな方はリターンした方が良いかもしれません。

あとめちゃめちゃ長いです自己満です




先に言うとわたしは原作至上主義でもないし映画ドラマ大好き人間です原作と実写作品は別物だと思って観る派です。

でも今回は溺れるナイフがわたしの中で特別な作品だからかもしれないけど、「原作だとこうなのに」ってめちゃめちゃ思っちゃいました。








映画は俳優さんの年齢的なこともあってだと思うのですが夏芽とコウちゃんの出会いは中学時代になります。(原作では小学生)

映画では中学時代が、原作では小学生の時が夏芽とコウがふたりならなんだってできるんだってキラキラ輝いていてそこがふたりが全能感を1番感じていた時だと思うんです。

でもなんか、映画版の中学時代の夏芽とコウちゃんはそんなに“特別なふたり”に見えませんでした。

特にコウちゃん。
容姿に関してはふたりとも周りとは明らかに違う美しさがあったんだけど、美しい「だけ」みたいな。



高校生になったコウちゃんが夏芽に「お前が言う“輝かしいコウちゃん”はもう死んどるんじゃ」って言うシーンがあったんですけど

(いや別にそこまで輝いてなかったじゃん…美しいけど…ただの美形の自由人みたいな感じだったじゃん…)

って思ってしまいました。
コウちゃんの生い立ちや「長谷川家」についてほとんど触れられていなかったので原作を読んでいない方は何故こんな性格になったのかとか全然分からなくてなんか変わった子だなぁ…みたいになったんじゃないかなと思いました。


でも冒頭の夏芽とコウちゃんが初めて出会う海のシーンでの映画版コウちゃんはただただ美しく人間離れしてる感じがありました。そのシーンがあっておー!!!これはやっぱり期待できるのでは…?!って胸が高なったばっかりに、そこからの落差が凄かったです。



映画版夏芽は駄々っ子のように地団駄を踏むシーンが印象に残っていて、好きです。

「コウちゃんが決めて!?コウちゃんの言う通りにするよ!?!!ねぇ!!!」みたいな、コウちゃんコウちゃんしてる夏芽の小松菜奈ちゃんとっても可愛かった。




あと上白石萌音ちゃん演じるカナちゃんがえっモブキャラなの?ってくらいに存在が薄かったです。

原作でのカナちゃん個人的にとっても気持ち悪いと思っていて嫌いなのですが、コウちゃんに異常なまでに執着していてコウと夏芽を崇拝しているカナちゃんを上白石萌音ちゃんが…!?!って考えるだけでゾクゾクしたし映画「ちはやふる」を観てから上白石萌音ちゃんの演技にも勝手に絶大なる信頼を置いていたわたしなので萌音ちゃんが演じるカナちゃんを見れるのをとっても楽しみにしていました。



このカナちゃんの存在感が薄かったところも、コウちゃんの神様感というか特別感があまり感じられなかったと思った原因なのではないかと勝手に思っています。

映画版でもみんなコウちゃんには逆らえない、一目置いている感じはあったけどほんとにちょびっとあったけど、カナちゃんが小さい頃からコウちゃんを見ていて執着し崇拝している、そこの場面の描写がほんとに少なくて、てゆかほぼないにも等しかったです。



あと(これ…このシーン長くない?こんなにいるのかな…?何を見せられているんだ…)ってなるシーンがありました。

コウちゃんを夏芽が追いかけるシーンは狭い範囲をふつうにバタバタふたりが走っていてしかも結構長くてなんだこれはってなってしまいました。

コウちゃんが走りづらい山道もひょいひょいと走って捕まえられないところを表現しようとしてたのかもしれないけど普通にバタバタでした。


最後の方の火祭りのシーンもこれはなんだ…?菅田将暉のプロモーションビデオか…?と思うくらい火のついた棒を持って舞っている?菅田くんのシーン長かったです。








映画版大友は面白担当って感じでしたよね。夏芽にも最初から好意的でしたし。

原作ではそこまで好意的じゃなかったけど段々夏芽に惹かれていってって感じで、そこのドギマギしてる描写も好きだったのですが、まあそこ省かなきゃ2時間にはおさめられませんよね!ウィッス!



あと「俺らは友達だろ」アピール?がちょっとわたしは無理でした。

映画版では夏芽が大友に「仲良くしたい。でも大友のこと好きにならないよ?」「友達でええよ俺」って言うシーンがなかったので(大友の友達でいいって台詞はあったけど夏芽の台詞はなかった)大友付き合う前もう絶対夏芽のこと好きだろ!好きだオーラむんむんなのにことある事に「友達だろ?」っていうのが白々しい感じがして嫌でした。


あと夏芽が大友に別れを切り出すシーンの
「笑ってや…笑って…笑え…っ」ってとこ、言い方とか表情とか重岡くんほんとに!ほんとに良くて「ぐわ〜!!!苦しい〜!」

ってなったんですけどよく考えるとレイプ事件の時レイプ犯蓮目も夏芽に「笑ってよ」って言ってるんですよね。
それがフラッシュバックしちゃってわ!キモ!ってなっちゃいました。考えすぎなのかもしれないし台詞なのかアドリブなのかそこを狙ってこの台詞を入れたのかは分からないけど、わたしはうわ〜…ってなっちゃいました。



そのあとのカラオケは正直意味がわからなかったです。なにあれ。


「笑って…」の時の切ない演技を見る限り重岡くんは決して演技力がないわけでもないし明るい役しか似合わないとかできない訳ではないと思ったので、

もっと原作寄りの夏芽に対する怒りとか悲しみとか色々混ざった演技にしても良かったんじゃないかな、おら東京さ行ぐだフルコーラス歌って夏芽元気づけてがんばれよ〜!!!!!みたいなのほんと意味がわからなかったです。

夏芽が別れを切り出した本当の理由はコウちゃんなのに仕事って嘘ついてそれを見抜いちゃったのに。なんでそんな呑気なの。いや呑気な訳じゃないんだろうけど。ただのイイヤツみたいになっちゃってた。重岡大毅くんは可愛かったです。






夏芽が缶ジュースを飲もうと思ったら零しちゃってそれを見たコウちゃんが夏芽の口元を舐めてキスするシーンは原作にはないのですが最高でした。

あと大友と夏芽のキスシーンもめちゃめちゃリアルでリアルすぎてリアルでした。あのシーンは演技にならないように俳優さんが気絶するくらい(してないけど)何回もリテイクしたって山戸監督がラジオで言ってたけど本当にリアルで最高でした。


Twitterで「キスした後が大友じゃなくて重岡大毅」という呟きを目にしたのですがこのシーンだけではなくほぼ大友じゃなくて重岡大毅だったなって感じました。

良い意味でも悪い意味でも。
それは重岡くんの演技力がとかじゃなく、大友に面白要素を入れに入れた制作サイドに問題があるんじゃないかな。しらんけど。



あと広能さん役の方、本人どんな方なのかとかわたしは全くわからないのですが顔と喋り方と声で松本人志さんのモノマネ芸人にしかみえませんでしたすみませんでした。

どう監督と役作りについて考えたのか分からないけど広能さんはあんなにねちっこく喋るのかな…っても思いました。







レイプ犯が死んだ後タタタタッって感じでラストスパートで沈むナイフ…溺れる…溺れるナイフ、っておあとがよろしいようで。んなアホな。





こんなに最高のキャストで実現できた
実写化なのに、なんで なんで って思っちゃって悔しいです。お前誰だよって感じなんですけど、悔しいです。


原作は辛くて読んでて苦しくて苦しくてたまにキュンとなるけど(基本大友パート)主に苦しくて、それでも続きが気になる、読みたくてたまらない気持ちになるものでした。

勝手にそういう映画が完成したんだ、原作を初めて読んだ時の様なヒリヒリして苦しくてドキドキして苦しくてのあの感情ががまた味わえるんだ、という気持ちでいたので観た後、色々思うことがありこのようにブログを書いてしまいました。






Twitterなどを見てみると原作ファンの方でも満足されいる方はたくさんいたので、個人の感じ方なのかなあと思います!おわりです!次はデスノートをみたいです!